銀閣寺観光〜足利義政の芸術的センスを感じる旅〜
正式名称を東山慈照寺といい、銀閣寺という通称は江戸時代に金閣寺と対比する形で用いられ始めました。
今回は、銀閣寺について書いていきます。
1.立地
銀閣寺は京都市内の市街地からは少し離れた自然豊かな所にあります。
もっとも、バスに乗ればすぐに着きますが。
少し離れた所にあるのは、銀閣寺を造った足利義政が、都での政治に嫌気がさしていたためです。
ちょうど応仁の乱といって、京都の中で争いが11年間も起きていた時期でした。
確かに自分の治世に11年間も争いが起きていると、嫌になるのも分かる気がします。
もちろん、責任は義政にあるわけですが。
ということで、中心部からは少し離れた、背後に山がある場所に銀閣寺は建てられたのでした。
2.庭園
銀閣寺には立派な庭園があります。
特徴的なのが、銀沙灘(ぎんしゃだん)と呼ばれる銀色の砂とプリン型の山です。
銀色に輝く砂が波紋状に整えられています。
これは江戸期に整えられたもので、義政の時代にはなかったようです。
なぜこのような庭になっているのかは定かではないようなのですが、月の光を砂に反射させて銀閣寺を照らせるようにしているという説があります。
そんなオシャレなことをよく思い付きますよね。
3.東求堂
こちらも国宝の東求堂です。
足利義政がここに様々な身分の人を呼び、文化的なことについて語り合ったそうです。
身分にこだわるのではなく、いかに文化的センスがあるかにこだわる、こういう所は先進的ですよね。
普段は入ることはできませんが、毎年、春と秋に特別公開されています。
この東求堂、内部は代表的な日本式の和室なのですが、本来掛け軸が飾られている場所には障子があるだけで、掛け軸がないのです。
そして、その障子の奥には庭が見えます。
なぜこういう作りなのか?
そう、障子を少し開くことで、奥の日本庭園が掛け軸型に切り取られて見えるのです。
すると、障子を開くだけで、四季折々の景色が掛け軸になるのです。
なんという大胆な発想。
こんなことを思いつく足利義政のセンスが素晴らしいですよね。
4.吉田山
銀閣寺の裏の小高い丘に登って京都の市街地の方を見てみました。
すると、銀閣寺の敷地外にも小さい山があるのが分かります。
これが吉田山です。
都での政争に疲れ果てた義政は、もう都の方は見たくなかったようで、あえて都の外れに銀閣寺を建造したようです。
当時はこの吉田山のおかげで、義政は都の喧騒から離れることができたのです。
5.まとめ
今回は銀閣寺について書いてきました。
京都の主要な観光地であり、大人になればこの侘び寂びの素晴らしさが分かるというもの。
ぜひ、銀閣寺観光の参考にして下さい。