歴史の教科書がしょっちゅう変わるのはやめて欲しい!!
歴史の教科書にどのように書くかについての議論があるようで、聖徳太子が没後に使われた呼称であることから、厩戸王と表記したり、鎖国といっても、四箇所で貿易をしていたからと、鎖国という表現を改めたりと、どうでもいいことで揉めているという印象です。
文科省、小中学校の社会で「聖徳太子」の表記戻す 「鎖国」も復活 - ライブドアニュース
1.まず一般的な通史を知ることが大切
初めて歴史を習う子に、教員側は「歴史って面白いものなんだ」と思わせることが大切です。
それなのに、こういう説もあるしこういう説もあるでは、すごく曖昧なものとしてしか歴史を捉えられなくなります。
特に、理系科目が好きな子には、答えが一つに決まるものに魅力を感じる子が多いと思います。
そんな中で、何通りも説があるのでは、いったいどれが正しいの!?となり、歴史嫌いを増やしてしまうような気がします。
なので、議論するのは勝手ですが、その時々の歴史学会での流行りをいちいち教育現場に押し付けてくるのはやめてほしいです。
歴史について調べている学者の中では大発見なのでしょうが、鎌倉幕府の成立がいつかなんていうことは、普通に暮らしている我々にとっては瑣末な問題に過ぎません。
私のような歴史好きは喜んで詳細を調べますが、いちいち教科書を書き換える必要はないでしょう。
2.十分に常識として通史が身についてから、いろんな説を知ろう
ある程度常識として歴史というものが分かってきた高校ぐらいの段階で、いろんな説を紹介しるというのが一番効果的なのではないかと思います。
そこで、より好奇心をくすぐられた子は、自分も学者になっていろんな歴史の謎を解き明かしてみたいと思うでしょうし、興味のない子も高校生ぐらいだと歴史というのはそういうもんだと受け止めることができます。
3.昔のことなんて我々の想像に過ぎないのだから、一つの確定したストーリーを作ってしまえば良い
文字史料のない時代の歴史は、出土品などから類推するしかないですよね。
縄文時代には争いがなかったというのが定説ですが、人と人が共同生活をしていて争いは起きないのでしょうか。
文献にだって嘘が書かれてある可能性は十分にあります。
本当の歴史なんて誰にも分からないのですから、教科書はある一つの有力なストーリーを示したものとして、めったなことでは改訂しないで欲しいです。
その上で、学びたい人は別の可能性のあるストーリーを学べば良いと思います。
どうせ誰も本当のことは分からないのですから。