直江兼続、「愛」に生きた男
今回のテーマは直江兼続についてです。
上杉景勝の軍師として、景勝を支え続けた男です。
妻夫木聡さんが演じていました。
「愛」の兜でも有名ですよね。
1.生誕
直江兼続は生誕が1560年ですので、ちょうど桶狭間の戦いの年に生まれています。
そして、1620年に死んでいるので、関ヶ原の戦い(1600年)や大坂の陣(1614〜15年)の時代を生き抜いたことになります。
2.生涯
直江兼続が仕えた上杉景勝は豊臣政権下で五大老に就任し、上杉家はこの先も安泰かと思われました。
越後から会津120万石に国替えとなり、豊かな会津の土地でより繁栄していくはずでした。
ところが、秀吉が1598年に亡くなると、景勝と同じ五大老の徳川家康が明らかに豊臣家をないがしろにするような勝手なことをやり始めます。
景勝は家康と一戦交える覚悟を決め、兼続も石田三成と親しかったこともあり、いつ合戦になっても良いように備えていました。
そんな中で、「景勝に謀反の疑いあり」という情報を得た家康は、「上洛して詫びを入れろ」と景勝に手紙を送ります。
これに対して「うるせー、そんな気はねーよ!でも文句があるならかかってこいや!」という返信の手紙を送りつけたのが直江兼続です。
文言は脚色しましたが、これが有名な直江状です。
やがて関ヶ原の戦いで、景勝は西軍側として奥州で徳川方の大名と戦いますが、石田三成が敗北したことにより、奥州でも戦いが終わります。
負けた西軍側についていた上杉方は家康に謝罪し、米沢30万石(山形県)に転封となるのでした。
3.誰一人クビにはしない
120万石から30万石へ、収入は三分の一になりました。
こういう時、普通は家臣をクビにするのですが、兼続はそれを行いませんでした。
全員を食わせていく。
そのために、家臣団の中ではトップである自らが率先して質素倹約に励みました。
リーダーとして、自らが背中で手本を見せる、これが大切ですね。
米沢は日本海側ですので、冬は厳しいです。
そんな中で飢えをしのぐため、新田開発を積極的に行い、また、少しでも食べ物を得るため食用の柿や栗を周りに植えました。
こうして、様々な努力を兼続を筆頭として家臣団が一丸となって行うことで、収穫量を増やし、飢えをしのぐことができるようになったのです。
また、米沢の街を整え鉱山開発を進めました。
こうして、上杉家は危機を乗りきったようです。
危機に際しても「愛」を忘れず助け合う、直江兼続は優れた人格者ですね。
漫画でサラッと兼続のことを知りたい方はこちらもオススメです。
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