1億2700万人のうちの誰かのために

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黒田官兵衛にまつわるエピソード〜最強軍師の唯一の誤算〜

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この記事は

竹中半兵衛と黒田官兵衛〜豊臣秀吉を支えた軍師〜 - 1億2700万人のうちの誰かのために

の続きです。

こちらを読んでからの方がより理解して頂けると思います。

 

1.本能寺の変に際して

 

黒田官兵衛本能寺の変の知らせを受けた際、うなだれる豊臣秀吉にこう言ったといいます。

 

「殿にチャンスが回ってきましたね。天下をお取りください」と。

 

こうして、豊臣方はすぐに毛利方との講和をまとめ畿内の方へ引き返していきました。

 

これが中国大返しと呼ばれる出来事です。

 

2.俺が三日三晩考えて至った結論にあいつは一瞬でたどりつく

 

これは豊臣秀吉は官兵衛を評して言った言葉です。

 

自分の主君にここまで言わせる官兵衛は相当な切れ者だったのでしょうね。

 

豊臣秀吉もどちらかというと頭の良さで成り上がっていったというイメージですが、その秀吉よりも上というのがすごいですね。

 

3.No.2のNo.1として

 

黒田官兵衛には天下取りの野心はありませんでした。

 

あくまでNo.2のNo.1として、秀吉を天下に導く役目でしたが、あまりの頭の良さに秀吉が官兵衛を遠ざけ始めます。

 

「いつか裏切られるのではないか」と。

 

官兵衛にはそんなつもりは全くなかったので、早々と仏門に入り名を如水と改め隠居してしまいます。

 

4.福岡での隠居生活

 

官兵衛の当時の領土は現在の福岡県の当たりでした。

 

そこで隠居生活をしていたものの、秀吉の小田原攻めや朝鮮攻めに際してはやはり力を貸しています。

 

でも相変わらず秀吉の反応は冷たい感じだったそうです。

 

5.ついに官兵衛、天下を狙う

 

1598年、秀吉が死ぬと、豊臣方と徳川方に分かれての争いが起き始めます。

 

そして1600年には、関ヶ原の戦いが起こります。

 

ここで官兵衛が動きます。

 

「秀吉様もいない今、俺が天下を取ってやろう」

 

官兵衛の立てた完璧な作戦。

関ヶ原の戦いは長期戦になり、双方被害は甚大。

恐らく勝つであろう徳川方は疲れ切っているはず。

そこを自分が九州から攻めていき倒す。

 

そして、怪しまれないために、息子の黒田長政を徳川方の援軍として送っていました。

 

「私は隠居の身なので関ヶ原の戦いには参加できませんが、家康様の味方です。あまり役に立たないでしょうが、息子を送りますので使って下さい」と。

 

ここまでは完璧な作戦でした。

 

6.官兵衛唯一の誤算

 

ところが、関ヶ原の戦いは半日で終わってしまいました。

 

豊臣方の小早川秀秋が裏切ったためです。

 

そして、この小早川秀秋を裏切らせるために奔走したのが、黒田官兵衛の息子の黒田長政でした。

 

官兵衛は息子の長政に常々言っていたそうです。

 

「勇猛果敢なのは良いが、お前はもっと頭を使え」

 

その長政が頭を使って活躍したことにより、自分の父親の完璧な計画を狂わせてしまったのです。

 

何とも皮肉なものですね。

 

親というのは、自分の子どものことになるとなかなか客観的に見ることができなくなります。

 

まさに、息子の能力を見くびってしまったのが、官兵衛の失敗でしたね。

 

 

 

ちなみに黒田官兵衛についてサクッと漫画で知りたい人にはこれがオススメです。

 

 

黒田官兵衛のかっこいいエピソードや実際の戦略などを知ることができます。

もちろん、漫画なのである程度ドラマチックにはなっていますが、歴史を楽しむためのものとしてはうってつけです。

 

7.最後に

 

喜び勇んで帰ってきた長政は官兵衛に「頭を使って活躍しました。そのおかげで、家康様が私の右手をとって喜んでくれました。」と報告します。

 

官兵衛は冷たく言い放ったそうです。

 

「その時お前の左手は何をしていたのだ」